一次情報を得ることの重要性

ここのところ、とある団体のチャリティーイベントに参加しています。
ミャンマーの文化やミャンマーで今起きていることなど毎晩ディスカッションしています。

現地で暮らす人々から直接情報を得る、つまり、メディアなど第三者を媒介しない形で情報を受け取ることって、とても重要なんだと感じます。

日本新聞協会の著作権に関する論旨を見ると、ニュース記事にも著作権が働いていると述べられています。

「だれが、いつ、どこで、どんな死因で、死去した。何歳だった」というだけの死亡記事や、「いつ、どこで、だれの車が、だれそれの車と衝突し、だれそれは重傷」といった簡単な交通事故の記事は、公式に発表された事実関係だけを記述しただけですから、だれが書いても、あるいはどの新聞社が記事にしても、記事の書き方にはほとんど差がありません。

しかし、死亡記事であっても、故人がどんな人で、どのような業績があったのかに触れたり故人を追悼する気持ちを出そうとしたものや、交通事故でも、事故の背景や周辺の様子などを記述していれば、単なる事実の伝達を超え、記者ごとの特徴を反映した記事になります。

著作権法では、著作物とは「思想又は感情を創作的に表現したもの」と定義(第2条の1号)しており、記者によって表現に差が出るような記事は、著作物の条件に当てはまると言えます。
解説記事はもちろん、一般のニュース記事も、通常はその事実を伝える記者の価値判断、視点を伴っており、また、背景説明や、取材の過程で見聞した事実を取捨選択し、記者の個性を反映した表現で書かれています。

ここからわかることは、メディアから受け取る情報には何らかの意図が含まれているということだと思います。(だからこそ各種運動を成功させる戦略としてメディアの活用はとても重要なのでしょう。)

国軍が行なっていることは言語道断であることは言うまでもありませんが、かといって民主派の言動全てが正しいのかという点では疑問が残ります。
逆に、国軍を擁護する立場のライターからは、明らかにリサーチ不足な記事が上がってきたりと散々です。

話がややこしくなってしまいましたが、いずれにしても一次情報を得ることはとても重要だと思うのです。
情報をインプットしたときに生じる反応がメディアなどから得たそれとは質が全く違います。

一次情報に触れることで自分自身の哲学や発想から出来事を捉える力を鍛えられるなあと実感します。(このことは学生時代に夢中になっていた旅にも通じるところがあると思います。)

ブログへの投稿、つまり情報を発信する側として、できる限り一次情報に触れる機会を作っていきつつ、文章としてそれをアウトプットし、人々や情報との出会いの旅を楽しんでいきたいです。

と言うぼやきでした。

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